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一般社団法人日本グリーフアカデミー7分で読めます

「人生の最期を、自分らしく迎えるために」シンポジウムレポート

「人生の最期を、自分らしく迎えるために」から考えたこと

2026年9月17日、東京・赤坂の日本財団ビルにて、市民公開シンポジウム
「人生の最期を、自分らしく迎えるために ~人生の最終章を考えることは、今をより豊かに生きること~」
が開催されました。

日本グリーフアカデミーは本シンポジウムを後援し、当日は代表の白瀧が司会を務めました。

会場には、一般市民をはじめ、医療・看護・介護・福祉などさまざまな分野の方々が集まり、「人生の最終章」をどのように考え、どのように支えていくのかについて、多角的に学ぶ時間となりました。

基調講演では、会田薫子先生による認知症とACPについてのお話、カール・ベッカー先生による人生の「第4四半期」や死別、葬儀、地域とのつながりについてのお話がありました。

日本グリーフアカデミーとしても、人生の最期とグリーフケアがどのようにつながっているのかを、あらためて考える機会となりました。

1.認知症とACP――本人の意思をどう支えるか

最初の基調講演は、会田薫子先生による
「認知症を有する人と家族のためのACP――あなたらしく最期を迎えるために」
でした。

講演では、重度の認知症となった高齢女性の事例が紹介されました。

食事や水分摂取が難しくなり、経管栄養のチューブ挿入が検討されたものの、ご本人は強く拒否されました。ご家族もその様子を見ながら、無理に栄養を入れることが本当に本人のためになるのか悩まれたといいます。

ここで示されたのは、

「できる医療をすべて行うこと」と、「その人にとって必要な医療を行うこと」は同じではない

という視点です。

食べられない、飲めないという状態に対して、ただ何かを補えばよいのではなく、病状や苦痛、医学的な適応を踏まえながら、「その人にとって何が最も穏やかな時間につながるのか」を考えることが大切だと語られました。

また、ACP(Advance Care Planning/人生会議)は、書類に希望を書いておくことだけを意味するものではありません。

「自分ならどうしたいか」
「お父さんのときはこうだったね」
「お母さんのときは、もっとこうしてあげたかったね」

そうした家族の日常的な会話も、将来の意思決定を支える大切な土台になり得ます。

人生の最終段階について、元気なうちから話しておくことの意味をあらためて考えさせられました。

2.「何かをすること」が本人のためとは限らない

講演の中で印象的だったのが、人生の最終段階における点滴についての話です。

家族や医療者にとっては、

「何もしないのは心配」
「せめて何かしてあげたい」

という気持ちが生まれることがあります。

しかし、本人にとって負担となる行為であれば、それが本当にケアといえるのかは慎重に考える必要があります。

会田先生は、緩和ケアについて、ただ治療をやめることではなく、苦痛をできる限り減らし、その人が最期まで穏やかに生きることを支えるケアとして説明されました。

本人だけではなく、家族も一緒に支える。

その視点は、グリーフケアとも深くつながっています。

「何かをすること」だけがケアなのではない。

ときには、何をしないかを選ぶことも、その人を大切にすることにつながり得る。

そのことを、強く考えさせられる講演でした。


3.人生の第4四半期をどう生きるか

続いて登壇したのは、カール・ベッカー先生です。

テーマは、
「人生の第4四半期を有意義に、誇らしく過ごすために」。

冒頭では、「切符を買うには行き先が必要」という分かりやすい例えがありました。

切符を買うとき、行き先を伝えなければ目的地にはたどり着けません。

同じように人生も、

「今日は何をしたいのか」
「誰のために何をしたいのか」

という目的を持つことで、日々の時間の意味が変わってくるのではないか、というお話でした。

特に印象的だったのは、高齢期を「支えられるだけの時間」として捉えないという視点です。

定年を迎えたからといって、人生の役割が終わるわけではありません。

これまで培ってきた経験、人とのつながり、仕事や生活の中で得てきた知恵を、地域や次の世代のために生かすことができます。

講演では、困っている人と「何かできる人」を地域の中でつなぐボランティアの事例も紹介されました。

高齢者が誰かを支えることで、新たな関係が生まれ、地域のつながりが育まれていく可能性があります。

人生の後半を、単なる「余生」ではなく、まだ誰かのためにできることがある時間として捉える考え方が示されました。

4.グリーフは個人だけの問題ではない

ベッカー先生の講演で、日本グリーフアカデミーとして特に重要だと感じたのが、死別の影響についてのお話です。

グリーフというと、

「大切な人を亡くして悲しい」

という個人の感情として捉えられがちです。

しかし、実際には死別後、心身の不調が現れたり、仕事に集中しにくくなったり、社会とのつながりが弱くなったりすることがあります。

つまり、グリーフは本人の心の中だけで完結するものではありません。

家族、職場、地域、医療、福祉など、社会全体に関わる課題として捉えることもできます。

だからこそ、死別を経験した人に対して、

「時間がたてば大丈夫」
「もう葬儀も終わったから」

と考えるのではなく、その後の生活まで含めて支える視点が必要です。

グリーフケアとは、悲しみをなくすことではありません。

悲しみを抱えながらも、その人が孤立せず、人や社会とのつながりを保ちながら生きていくことを支える。

そうした視点が大切なのだと、あらためて感じました。

5.葬儀と、人とのつながり

講演では、葬儀の役割についても触れられました。

葬儀は、亡くなった人を送るための儀礼です。

一方で、親族や友人、知人が集い、遺族と周囲の人々との関係をあらためて確認する機会にもなり得ます。

「最後に会いたかった」
「亡くなったことを知っていれば参列したかった」
「何かできることがあれば声をかけたかった」

そうした人たちが葬儀を通して集まり、その後の関わりにつながることもあります。

この視点から見ると、葬儀は、亡くなった人を送るための儀礼であるだけでなく、親族や友人、知人が集い、遺族と周囲の人々とのつながりをあらためて確認する機会にもなり得ます。

グリーフの視点から見れば、こうした人とのつながりが、死別後の孤立を防ぎ、その後の生活を支える一つの土台になる可能性があります。

また、日本には、仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり、亡くなった人に心の中で語りかけたりする文化があります。

亡くなったからといって、関係が完全に途切れるわけではない。

亡き人との関係は、形を変えながら、その人の人生の中に続いていくことがあります。

これは、グリーフケアにおける「続く絆」という考え方とも重なる部分があります。

日本の文化の中に古くから存在してきた「亡き人とのつながり」を、現代のグリーフケアの視点から捉え直すことも、大切なのではないかと感じました。

6.日本グリーフアカデミーとして考えたこと

今回のシンポジウムを通して、人生の最期について考えることは、単に「どう死ぬか」を考えることではないのだと感じました。

自分は何を大切に生きたいのか。

どこまで医療を受けたいのか。

家族とどんな話をしておきたいのか。

誰とつながりながら老いていきたいのか。

そして、大切な人を見送った後、残された人たちがどのように生きていくのか。

これらはすべて、一つにつながっています。

ACP、看取り、葬儀、グリーフケア。

それぞれ別々のテーマに見えますが、

「その人らしく生きること」
「その人を大切に見送ること」
「見送った人が、その後を生きていくこと」

を一つの流れとして考えていくことが大切なのだと思います。

今回、日本グリーフアカデミーは本シンポジウムを後援し、代表の白瀧が司会を務めました。

医療・介護・福祉・葬送など、さまざまな分野の方々と共に学び、人生の最終章とその後に続くグリーフについて考える機会となりました。

日本グリーフアカデミーでは、これからも分野を越えたつながりを大切にしながら、人生の最期から死別後までを社会全体で支えていくための学びと実践を続けていきます。


※本記事は、2026年9月17日に開催された市民公開シンポジウムの講演内容をもとに、日本グリーフアカデミーの視点からまとめたものです。