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一般社団法人日本グリーフアカデミー 尾上正幸9分で読めます

【コラム】終活はグリーフサポートを内包すべし

2026年9月17日日本グリーフアカデミー講演のシンポジウムにてカールベッカー先生の講演に刺激を受け、「葬儀後の影響を研究した論文」拝読までに至り、共感と同時に私の終活思考を考えてみた.

終活は、本人のためだけに行うものではない。本人の生き方や家族との対話は、意識、無意識にかかわらず、将来残される人を支える力になる。
~カールベッカー先生の講演に触れて~

終活から始まるグリーフサポート私は、葬儀、終活、グリーフと約40年にわたって向き合ってきた。その経験の中で、終活とは人生を終える準備ではなく、終焉を意識したときから、残された時間をどう生きるかを考える活動だと思うようになった。これまでの人生を振り返り、これから先を想像する。
無理なく手の届く夢や目標を持ち、家族と話し、自分の思いや意思を残していく。それは本人のためだけではない。
本人が家族と話し、考えを伝え、記録を残すことは、やがて看取りや葬儀を迎える家族の迷いや後悔を少なくする。そして、その後の家族のグリーフワークを支えることにもつながる。
だから私の思考は、「終活はグリーフサポートを内包すべし。意識、無意識にかかわらず」である。本人が意識的に家族の将来を考えて取り組む場合だけではない。自分らしく生きようとし、家族と話し、思いを残すこと自体が、結果として、将来残される家族への支えになる。終活は、本人の人生を豊かにする活動であると同時に、家族の将来の悲嘆に備えるグリーフサポートでもある。

講演との出会いから論文へ

私がこの論文に関心を持ったきっかけは、著者の講演に触れる機会を得たことだった。講演を聴く中で、私がこれまで現場で考え、実践してきたことと重なる部分が多く、強い共感を覚えた。
特に印象に残ったのは、死別後の支援だけでなく、ACPのように本人が意思を伝えられる段階から関わることの効用について、多くの時間を割いて語られていたことである。
ACPは、将来の医療やケアについて、本人を中心に家族や支援者が繰り返し話し合う取り組みである。それは医療上の選択だけに限らない。本人が何を大切にして生きてきたのか、これからをどのように過ごしたいのかを、家族と共有する機会にもなる。
私は以前から、終活には「事前に関わる」という視点が不可欠だと考えてきた。亡くなった後に、家族が初めて本人の希望を考えるのでは遅い。本人が元気なうちに家族と話し、意思や思いを伝え、その人らしい生き方や見送り方を一緒に考えておく。それによって本人の選択が尊重されるだけでなく、残される家族の迷い、後悔、葛藤を少なくすることもできる。講演で語られていた事前の関わりの効用に、私は自分の終活思考との共通性を感じた。そのことがきっかけとなり、改めて著者の研究に興味を持ち、たどり着いたのが、2022年に発表された「葬儀への不満が、その後の医療・福祉費用に影響する可能性」という論文だった。
講演では、死別前からの関わりについて語られていた。論文では、葬儀と死別後の影響が取り上げられている。
この二つを続けて捉えることで、本人への生前支援から、看取り、葬儀、その後の家族のグリーフサポートまでを分断せずに考える必要性が、より明確になった。

論文から確認できたこと

この論文では、死別を経験した日本人1,078人について、葬儀への不満と、その後の精神的健康や医療・福祉サービス利用との関係が調べられている。調査対象のうち、葬儀に不満を示した人は106人、不満を示さなかった人は972人だった。
特に大きな違いが表れたのは、祭壇や装飾などの物理的な要素ではなく、葬儀担当者との相談や対応だった。僧侶との関わりについても、遺族の評価に影響することが示されている。
葬儀への不満があった人たちは、満足した人たちより睡眠障害が強く、抑うつ、絶望、無気力、生活への興味喪失も高い傾向にあった。医療や福祉サービスを利用する人数や頻度には明確な差がなかった。一方、利用したときの支出額には大きな違いがあり、不満を持つ人の医療・病院費は満足した人の約3倍、金銭・法律・福祉相談費は約4倍だった。
ただし、この論文は、葬儀への不満が医療・福祉費用の増加を直接引き起こしたと証明したものではない。そこには別の心理的・社会的要因が関係している可能性があり、因果関係は確認されていない。
それでも、葬儀担当者や僧侶の言葉、態度、関わり方が、遺族の記憶に長く残り、その後の生活にも影響する可能性は見過ごせない。

私の終活思考との重なり

この研究は、私が現場で感じてきたことを、葬儀後の側から捉えたものだと思う。
論文が明らかにしようとしているのは、葬儀への不満が遺族に何を残すのかという問題である。一方、私が考えてきた終活思考は、その前から始まる。
本人が元気なうちに、これからの生き方を考える。家族と話し、自分の希望や思いを伝える。エンディングノートに書くだけでなく、書いたことを家族と話す。
「伝えたら書く、書いたら話す」。
その対話があれば、家族は突然、すべてを決めなくてもよくなる。本人は何を大切にしていたのか。どのような医療やケアを望むのか。どのように見送ってほしいのか。誰に何を伝えてほしいのか。本人の言葉が残っていれば、家族は迷いながらも、その人の人生と意思に沿った選択ができる。
論文でも、葬儀を事前に計画しておくことは、親や祖父母の葬儀を突然決め、費用まで負担する場合より、不満を避ける傾向が示されている。
講演で語られていたACPなどの事前の関わりと、論文が示す葬儀後の影響をつなげて考えると、終活が遺族のためにもなることが見えてくる。本人への事前支援と、遺族への事後支援は、別々のものではない。本人が自分の人生と向き合い、家族と話す。その行為は、本人が意識しているかどうかにかかわらず、将来の家族の悲嘆を支える力になり得る。
ここに、「終活はグリーフサポートを内包すべし」という私の思考の根拠がある。

葬儀は人生の終点ではない

私は、葬儀を人生の終点とは考えていない。
本人にとっては人生を託す場であり、家族にとっては故人との新しい関係が始まる場でもある。本人の終活から、ACPを含む事前の話し合いへ。そこから看取り、葬儀、追悼、家族のグリーフワークへ。
この流れは本来、分断されるものではない。
葬儀の場で家族が故人との思い出を語り、その人がどのように生きたのかを確認する。その経験が、失った事実を受け止め、故人との関係を自分の中に結び直す時間になる。だから葬儀担当者に求められるのは、滞りなく儀式を進める技術だけではない。
遺族の話を聴くこと。選択を急がせないこと。費用や儀礼の意味を丁寧に説明すること。故人との関係や思い出を言葉にできるよう支えること。そして、葬儀後も必要な相談先や語り合える場につなぐことである。

ケアではなくサポート

私は、グリーフをすべて治療の対象として捉えることには違和感がある。
大切な人を失って悲しむことは、病気ではない。悲しみを消すのではなく、悲しみを抱えながらも、その人が再び自分の人生を歩けるように支えることが必要である。
だから私は、「グリーフケア」よりも「グリーフサポート」という言葉を大切にしている。専門家だけが支えるのではない。家族、友人、地域、宗教者、葬儀担当者、医療・介護関係者、そして同じ経験をした人たちが、緩やかにつながりながら支えていく。本人が生前に残した言葉や、生きる姿もまた、家族を支える力になる。
終活に取り組む本人が、夢や目標を持って人生を生き直す。その姿を家族に見せ、思いを語り、必要なことを託していく。たとえ本人が、それをグリーフサポートだと意識していなくても、その生き方や言葉は、残される家族の中に残る。
だから、終活がグリーフサポートを内包することは、特別な支援活動だけを意味するものではない。本人が自分らしく生き、家族と関わり、思いを託す。その日常の積み重ねそのものが、将来の家族を支えるグリーフサポートになり得るのである。

私が目指すもの

講演では、ACPのように死別前から関わることの効用が語られていた。論文では、葬儀への不満と死別後の精神的健康、医療・福祉費用との関連が示されていた。私は、この二つの間をつなぐものが終活だと考えている。
終活は、死の準備ではない。残された人生をどう生きるかを決め、家族と話し、思いを残し、託していく活動である。
その積み重ねが、本人の意思を尊重した看取りを支え、納得できる葬儀につながり、残された家族の後悔や孤立を少なくする。そして、遺族が自分の人生を歩き直す力になる。
終活から事前の話し合いへ。看取りから葬儀へ。葬儀からグリーフサポートへ。私は、この一連の流れを切り離さず、本人と家族の人生をともに支える仕組みとして、社会に実装していきたい。
終活はグリーフサポートを内包すべし。それが意識的なものであるか、無意識のうちに行われるものであるかにかかわらず、本人の生き方、言葉、家族との対話は、やがて残される人を支える力になる。
これが、私の終活思考である。

参考論文
2022年1月2日
Mourners’ Dissatisfaction with Funerals May Influence Their Subsequent Medical/Welfare Expenses—A Nationwide Survey in Japan
「葬儀に対する遺族の不満が、その後の医療・福祉費用に影響を及ぼす可能性――日本全国調査」
International Journal of Environmental Research and Public Health
『国際環境研究・公衆衛生学雑誌』掲載
Carl B. Becker,Yozo Taniyama,Noriko Sasaki,Megumi Kondo-Arita
Shinya Yamada,Kayoko Yamamoto
DOI 10.3390/ijerph19010486

(尾上正幸のnoteより転載)